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INFO:
「大谷吉継」忠義の知将 眞邊明人氏の解説 1565年、近江で生まれ、母は、秀吉の正室寧々の縁者。「吉継に100万石の軍勢を預けて戦わせたい」との秀吉の逸話があり、軍才を高く評価。行政能力にも長け、敦賀5万石を与えられ領内の産業を促進し寺社等の保護にも努め、水軍の育成など軍政改革も進め堅実な統治を行った。吉継は上杉征伐に三成を参陣させ、家康との関係を修復しようとしたが挙兵を聞かされ、家康との実力差を指摘し思い留ませようとした。結局、三成に味方することに。関ヶ原の戦いでは、吉継は5700の兵を率いて出陣。小早川秀秋の裏切りを予見し、小早川隊1万5000が陣取った松尾山の麓に布陣。開戦当初は藤堂高虎・京極高知らと交戦。脇坂・朽木・小川・赤座の4隊4200が裏切り四方を敵に囲まれ壊滅。吉継は乱戦のなか切腹。首は、介錯をした家臣の湯浅五助の手で戦場の何処かに埋められたと言われる。news.yahoo.co.jpより 滋賀県米原市下多良 大谷吉継の首塚 西軍の敗北を悟った吉継が、敵に首を渡さないよう、湯浅五助の介錯で自刃し、甥の僧・祐玄が錦の袋に入れ、敦賀への逃亡の途中、この地に埋め隠したといわれる。今も地元の人々に、大切に守られ供養されている。長浜市余呉町小谷は、吉継の出生地と伝わる。kitabiwako.jpより 青野原の戦い(南北朝時代) 1338年1月末、美濃国・青野原で、南朝方の北畠顕家軍と、北朝方(足利尊氏方)の土岐頼遠らとの戦い。関ヶ原の戦いが行われた同じ場所での、南北朝時代の決戦。戦いに勝利した南朝方の北畠顕家だが、その後の敗死に繋がる重要な戦い。顕家は、越前(金ケ崎城)で勢力を回復しつつあった新田義貞と合流し京に入る選択肢もあったが、伊勢国、伊賀国を経て後醍醐天皇のいる吉野へ。同年6月、和泉国堺浦・石津(現在の堺市一帯)で敗退し、顕家ら主だった武将が多く戦死。love-japanese-history.comより 壬申の乱 672年、天智天皇死後、天智天皇の同母弟、大海人皇子と、息子、大友皇子の争い。大海人軍は吉野から伊勢、桑名を経由、6月27日に野上に本営を置く。野上行宮の本隊は高市皇子を筆頭に約3㎞離れた「ワザミガハラ」(現在の関ケ原付近)に集結。7月1日、「玉倉部邑」で大友軍の奇襲を退け、近江・大和、河内、伊賀で大海人軍と大友軍の戦い、瀬田橋の戦いで大友軍は敗北。以後大海人皇子が天武天皇に即位、橿原市に藤原京を造営し、皇后の鸕野讚良(後の持統天皇)と共に、中央集権国家の形成を推し進めた。rekimin-sekigahara.jpより 音楽: シラー作詞(一部ベートーベン)  ベートーベン作曲 交響曲第9番4楽章より 演奏:管弦楽 古屋誠一指揮セントラル愛知交響楽団 野原広子(S) 三輪陽子(A) 松本薫平(T) 斎木健詞(Br) 小浜第九合唱団 R4.12.11 第29回演奏会より   第30回演奏会はR5.12.10。14:30 開演 『皆様頑張って下さい。楽しみにしております。』 小浜賛歌「人魚の子守歌」作詞・作曲亀山法男 合唱:小浜少年少女・小浜第九合唱団 ピアノ協奏曲イ短調 グリーグ作曲 今川裕代(pf) 交響曲第9番4楽章より演奏:管弦楽 古屋誠一指揮セントラル愛知交響楽団 野原広子(S) 谷田育代(M-s) 中井亮一(T) 斎木健詞(Br) 小浜第九合唱団 合唱指導:小牧伸輔ほか 案内:NHK福井放送局MC 羽生ちひろ 主催:文芸おばまu002F小浜第九実行委員会 後援:福井県 小浜市 若狭町・美浜町・おおい町・高浜町・小浜市各教育委員会 協賛: 福井新聞社 NHK福井放送局 FBC 福井テレビ fMfUKUI チャンネルO MMネット 多くの個人・企業の皆様 お知らせ:第31回演奏会はR6.12.8の予定。第30回演奏会パンフより引用。 感想: 忠義の知将、大谷吉継を調べ、敦賀城跡等や、米原市下多良の首塚、関ヶ原古戦場へ。4km先の臭いを嗅ぎ分ける熊を恐れて、松尾山の麓の山中(吉継の陣所・墓所等)へは行かず。関ヶ原の陣所跡を巡り、各武将が布陣した場所等が、よく分かりました。 福井県と市、敦賀商工会議所で作る「金ケ崎周辺魅力づくり協議会」が世界的な建築家の重松象平さんに依頼し作成した、鉄道と港の歴史を生かした観光の拠点化を目指す、宿泊機能付きレストラン「オーベルジュ」を整備する未来の、金ケ崎公園周辺のデザインも注目です。 鉄道・旅行・グルメファンの皆様、御食国若狭国も宜しく! 「小浜線de動画」で検索か「https:u002Fu002Fwww.obamaline.comu002Fvideosu002F」のURLを。